1995〜1997年

広島のとあるソフト会社に入社。当時20名弱の小さな会社でした。主な業務は、調剤薬局と養豚システムでした。私は、養豚システムの部門に配属になりました。

養豚のシステム?そうです。皆さんが普段、口にされる豚肉がありますよね。あの肉になる豚を産む、豚、母豚を管理システムがあるんです。すごいですよね。私もそんなシステムが世の中にあることすら、想像できませんでしたから。

日本の養豚業界は、実は優秀なんですよ。牛肉なんかみると、アメリカ産だのオージービーフだの、海外の牛肉に押されていますけど、豚肉はほぼ国産なんですよ。しかも、関東近県も養豚場が結構あるんです。千葉、茨城なんてすごくあるんですよ。ブランド豚とか全部、日本の県名ですからね。

さて、私が配属されたのは、そういったシステムの開発、保守、インスト(現地導入支援)を行う部門だったのです。当時、PC98というNECのPCが主流で、MS-DOS上にQuickBasicという言語を使って、プログラムを組んでいました。入社半年ぐらいは、プログラムと保守で明け暮れていました。今考えると幸せなことでしたが、相当数のプログラムを直したり、作ったりできました。私のプログラムの基礎はほぼこの時に出来上がりましたね。本当にすごい数をこなせました。勿論バグだらけですけど( ̄∇ ̄*)ゞ。

そしてインスト。実際に養豚場に出向いて、システム導入をしてくるんです。これは、多分皆さんの想像を絶する部分があると思います。私も当時、ショックを受けましたから☆<( ̄□ ̄;)>☆
さっき母豚というお話をしましたけど、実は、母豚の母豚ってのがいるんですよ。
つまり、

子供(肉)を産む豚 = 母豚
母豚を産む母豚 = 母母豚

ってのをつくる農場があるんです。ここへの導入が一番、カルチャーショックを受ける部分でした。農場に入る前に消毒用のお風呂に入るんですよ。
そして・・・。
農場で支給されるパンツとか服に着替えるんです。これは、正直キツかった。誰が履いたとも知れないパンツをはく。
・・・。
まぁ慣れるんですけどね。

そうやって、日々精進するなかで、新しいシステムのお手伝いや設計・製造を担当させてもらえるようになりました。

そして1997年、養豚システムのWindows版の設計と製造を担当することに。今も動いとるんかなぁ。